<インド到着>
成田から約8時間、エアインディアの飛行機は無事デリーに到着した。
エアインディアは機内からいろいろあってとても楽しいフライトになった。
サリーにターバンとインドらしい客室乗務員。機内食はもちろんカレーで
エンターテイメントの映画ももちろんインド映画。ハリウッドならぬボリウッド
とも言われるほどのインドの飛行機ではもちろん自国の映画である。
機内から歌に踊りにと陽気に過ごせる。日本への出張帰りというインド人
ビジネスマンとも仲良くなれたし、インドに一人旅をすべく飛行機に乗り込んだが
機内で不安になってしまったという女子大学生も乗客乗員が集まって相談に
応じるなど8時間があっという間に過ぎてしまった。
デリーに到着し荷物をpickすると両替商がたくさん並ぶ廊下に出た。どこの両替場も
窓から上半身をのりだし「うちで両替しないか?Good rate!!」と叫んでくる。
何軒も並んでいるのに、そのどこからも上半身をのりだしていてすごく奇妙な雰囲気、、、。
レートは結局どこでも一緒なのだけど、一体どこで両替したらいいのだろうという
感じである。空港のロビーでは小さな古いテレビが上のほうにあり、そこに何人も集まって
インド映画を鑑賞していた。う〜ん、やっぱりインドに来たんだなあ、、、。
結局一人旅の女子大生はエアインディアのスチュワーデスがデリー市内まで
送ってあげることになったらしい、、、。インドっぽい展開!?
<デリー、アグラ、ジャイプール>

(混沌としたインドの街中)
デリー空港から市内へはバスで向かったが、デリー空港のすぐそばがスラム街であった。
空港からバスに乗りすぐに見た光景が家畜に、水を運ぶ女性、、、。ちょっとすぐに壊れて
しまいそうな家、、、。デリーはこんなところなのかなと思いきや、市街に出たら結構な都会
だった。しかし、都会とはいえ混沌とした感じがする。これはデリーだけではないのだが、
道の中央に偉そうにノラ牛が歩いたり寝ていたりする。そのすぐそばを車やバイクが
かっ飛ばす。そんな中を人が横断する、、、。そして道のすぐ脇ではいろいろな屋台やら
売店が並び、リクシャーやオートリクシャーが走りまくる、、、。なんだかあらゆるものが
あふれている。人も格好のきちんとしたビジネスマン、きれいなサリーに身を包んだ女性と
さまざまだ。一言で混沌としている。全てのものが共存する、、、これが第一印象だ。
デリーで早速リクシャーに乗ろうと外へ出た。この国では一歩外に出れば誰かにつかまる。
タクシー、屋台、リクシャー運転手、、、さあ餌食が来たといわんばかりに見つかって声を
かけられる。まあ、リクシャーに乗るつもりなのでいいのだが、、お金が大事。インド人は
何を言っても絶対ノープログラム、インド人嘘つかない!としか言わない。もうこれが嘘なのに。
ここは冷静に価格交渉をはじめる。数名のリクシャーと交渉した結果、1時間半で○ドルの
契約をしてくれた一台を手配。特に行きたいところもないので、適当に走ってとリクエストした。
走り始めて少しして交差点で停車した。すると、一人の女の子がやってきた。その娘は
片手が全くなかった。片方の手を差し伸べ、お金をくれといってきた。私はお金をあげるも
何もその痛ましい姿に頭の中が真っ白になってしまい何もしないうちに信号が青になってしまった。
かわいそうなことをしたような罪悪感に陥った。
リクシャーで街を走っていると珍しい施設に出くわしたので聞いてみたらシーク教のお寺だと
言った。インドに来てから知ったのだが、ターバンを巻いている人はみなシーク教なのだそうだ。
インドというとターバンを想像するけれど、これはシークの人だけ。ヒンズー教徒のほうが多いから
インド=ターバンというのもなぜだかよく分からない。お寺をみたいというと、シーク教の人が案内
してくれた。まず、お寺の外で足を洗い裸足になった。そして、ターバンを渡され髪を隠すように
指導された。説明はよく分からなかったけど、珍しい体験ができてよかった。結局その帰り、
「government market ガバルメントマーケット」に寄ろうと無理やりお土産やに連れて行かれたけど
1時間半の時間もお金も約束通りだったのでよかった。
デリーには面白いものがたくさんあった。まず、簡単日傘(私の命名)。帽子の上に簡単な傘が
ついていて、強い日差しもさえぎってくれる。その他にへび使い。コブラ使いだが、毒は一応
とっているらしい。その他いろいろ、、面白い国だ。
デリーからバスでアグラやジャイプールに出かけた。アグラでは観光客目当てのアグラ城への
象へ乗った。これは本当に外国人向けの商売で特に楽しいということはない。一応象に
乗るってくらいだ。それよりアグラのメインは勿論タージ・マハル。白亜を守るため、タージマハル
の手前で車は規制され、そこからは専用バスで向かう。専用バスの窓には物売りが集まってきて、
窓から手を入れてきてまで絵葉書を売りつける。そしてバスが走っても手を入れて走っている。
すごいなあ、、、かなりのスピードになってやっと手を抜いて諦めたけど危ない危ない。
さて、タージマハルは一言で本当に美しかった。こんな白がきれいに見えたのは初めて
かもしれない。どんな角度から見てもため息の連続。タージマハルの前に広がる庭園が
美しさを一層盛り上げる。さらに、タージマハルから少し離れた別の寺院から見る
川越しのタージマハルはこの世の美の収縮というほどのものだ。
アグラに1泊し、翌日はまたバスで約3時間のジャイプールへ。まず到着したら待望のインド
映画を現地の映画館で見るという夢の実現へ。映画館は大きかったが客は少なかった。
インドの映画は3時間と長いので途中で休憩がある。休憩時はみなスナックなどを食べて
くつろぐ。私もチャイとサモサを食べた。映画館に来る日本人にみな関心を抱いていたようだ。
字幕は無くもちろん映画はヒンズー語だが、単純なストーリーがほとんどなので映像だけでも
結構楽しめる。いずれにせよ、現地で見たというのがすごくうれしかった。翌日は市内に
出かけた。ジャイプールはピンクシティとも呼ばれていて、オレンジかかった色の建物が多い。
見所は風の宮殿だが、宮殿前の道は車の通りが激しい。車を道の反対側で降り、合間を見て
渡ろうとしたら、乞食の男性が着いてきた。これはまたショックなだった。乞食という言葉を使いたく
ないが、、、何と表現すればいいのか分からない。彼は両足がなかった。車椅子はないから、
ベニヤ板にタイヤがついたものを胴体にしいて、それで見事に体をあやつっていた。
しかし、そのベニヤはとても衛生的とは思えない汚いものだ。彼はそれにのり、自分の両手で
前へ進んでいた。その車の激しい通りを彼はすきを見て、一生懸命その体で追ってくるのだ。
しかも、そんな彼を見て車は決してスピードを落とそうとしない。インドにはインドの考え方が
あるのだろうが、どうもこの差が理解できなかった。その他にも、お金持ちの子が通う小学校
があると思いきや、交差点の隅でつつまじく生活する乞食と思われる家族達。カーストが
廃止されたとはいえ、私の目から見れば絶対に根本的には残っているとしか感じられなかった。
<ジャイプール〜ベナレスへ>

(ガンジス川の夜明け)
ジャイプールから列車でベナレスへ。8時間という長距離だった。私達は一応エアコン付きの
一等に乗った。2等はエアコンがないというか、窓ガラスもないし、乗れるだけ乗れって感じで
盗難も心配だ。ジャイプールではポーターに荷物を頼んだ。結構な老人なのにスーツケースを
2個も頭に載せて歩くのがすごい。駅はまたまたどこからこんな人がといわんばかりにすごい
人だった。ビジネスマンみたいな人もいれば、この人ここに住んでるのかなあみたいな人まで。
電車が来るとそれはそれはすごい。降りる人と乗る人と、物売りと物乞いがみんな整列すること
なしにごったがえすのだから。駅ではチャイを飲んで休んでいたが結構時間があったので
デジカメを見せたりしてインド人としばし交流していた。
ベナレス近くの駅で降りたが、もう夜で暗かったのに駅もろくに電気がなく、それでいて
降りるときはごったがえすから訳が分からなかった。そして、、、駅があまりに暗いので
気づかなかったのだが待合室の足元がすごかった、、、人で。よく見ていないと寝ている人たち
を踏んでしまいそうだ。そして、私はクッキーをもって歩いていたらすぐに物乞いの子供に
とっていかれてしまった。ここでは、どこを歩いていても下に物乞い、隣に物乞いと本当に
訳がわからないまま駅を出て行った感じである。駅からベナレスまでバスで移動した。
ベナレスはヒンズーの聖地。イスラムでいえばメッカのようなところで巡礼者が多い。
ヒンズー教徒は、みなベナレスで死にガンジス川に違灰を流してもらうのは夢である。
だから、ベナレスには死場としてやってくる人も多い。瀕死状態の人を預かる施設もある。
ベナレス中心に入っていくと、到る所に人が寝ていた。道路の脇、屋台の前ととにかく
人が横たわってたり寝てたりする。彼らはみな巡礼や死場を求めてやってきた人たちである。
お金がある人は宿泊所にきちんと泊まるがお金のない人は遠い道のりを歩いてきたり
とかなり衰弱している人も多い。
翌朝、ガンジス川の日の出を見るために4時半にホテルを出発した。まだ真っ暗だというのに
ガンジス川に向かう人で道路は人が多かった。ガート(体を清めるところ)から小さな船に乗り込み
ガンジス川の中へ向かった。川を覗くと、透明度はゼロで牛が何頭か流れていた。
聖なる牛も死んだらガンジス川に流されるのだ。ガンジス川のほとりには火葬場も多い。
お金のある人は火葬してもらい、違灰を川に流す。早朝からガンジス川で沐浴する人で
岸のあたりは混みあっていた。日本人からすればこの濁った水で沐浴など想像もつかない
ことだかヒンズーの人にとっては聖水にほかならない。船に乗ってしばらくすると夜明けがやってきた。
はるかなるガンジス川の向こうに太陽が昇った。なんだか生と死の共存を強く感じた。
<ベナレス〜日本へ>
ベナレスを夕方出発し、夜行列車でデリーへ帰った。夜行列車では車内食のカレーを注文したが
結構おいしい味だった。最初デリーに到着したときは、インドのワンダーランドぶりに
面白くて仕方なかったけど、終わってみれば考えさせられる旅行だった。
カーストってなくなったの?って聞きたいけどsensitiveな問題でインド人にはなかなか聞けないし、
旅行者の目から見れば身分の差は明確に存在するように思える。
本当かどうかは勿論確認していないけど、乞食の子は乞食というこの国の運命にあっては、
乞食の子はお金をもらえるようにわざと五体不満足にすることがあるらしい。でも、確かに
お金をせがんでくる子供って手がなかったり、足がなかったり、指がなかったりと生まれながらなの
か疑問に感じることがある。本当だったら怖い話だが、、、。日本人からすると、なんでこんな
ハンディキャップの有る子を乞食にしておくの?とか疑問に感じるけれど、これがカースト、これが
宗教?と思っているインド人はあまりそれをかわいそうだと感じる人はいないようなのである。
いろいろ感じながらデリー空港を出発した。帰りの機内エンターテイメントは、偶然にもジャイプール
で見た映画と同じだった。